『孔叢子』嘉言第一005:夫子適齊

原文

夫子適齊,晏子就其館。既宴而私焉,曰:「齊其危矣!譬若載無轄之車,以臨千仞之谷。其不顛覆亦難冀也。子、吾心也。子以齊為游息之館,當或可救。子幸不吾隱也。」夫子曰:「夫死病不可為醫。夫政令者、人君之銜轡,所以制下也。今齊君失之已久矣。子雖欲挾其輈而扶其輪,良弗及也。抑猶可以終齊君及子之身。過此以往,齊其田氏矣。」

書き下し

夫子齊に適き、晏子其の館にらしむ。既に宴し而うちとけ焉りて曰く、「齊は其れ危き矣。譬うるにくさび無き之車に載り、以て千仞之谷に臨むが若し。其れ顛覆くつがえら不るも亦たねがい難き也。子、吾がとも也。子齊を以て游息之館と為さば、當に或いは救う可し。子ねがわくば吾に隱さ不れ」と。夫子曰く、「夫れ死病は醫しを為す可から不。夫れ政令者、人君之銜轡にして、以て下をおさむる所也。今齊君、之を失うこと已に久しき矣。子其のながえを挾み而其の輪を扶けんと欲すると雖も、良く及ぶ弗き也。抑も猶お以て齊君及び子之身を終える可し。此れを過ぎてさきは、齊は其れ田氏たら。」

訳注

就:ある場所に居る。居らせる。ここでは使役に読まないと文意が通じない。

私:身内、親族の語釈がある。派正義として”打ち解ける”と解した。

顛覆:顛も覆も”くつがえる”。

冀:「こいねがう」と通常訓む。目的語が無いが、姜氏斉国の延命を願うことであろう。

心:語意はあくまで”こころ”でしかないが、”心の友”を意味するのであろう。『孔叢子校釋』に引く、「冢田虎曰、言以孔子為腹心、則将従其所謀也。」

或:未定のナニガシを意味する言葉で、”ひょっとしたら”とも訳せる。だが「當に」=当然、とのコンビがうまくいかないので、未定の量、つまり”いくらかは・少しは”と解した。

抑:しかしながら。そうではあるが。

過此以往:ここでの以は「以前」と同じく、「より」と読んで範囲を意味する。往は過去を意味するが、「さき」とよんで未来をも意味する。原義は”行く・進む”こと。

現代語訳

孔子先生が斉に行くと、晏嬰が屋敷に招いた。うたげが始まって互いに打ち解け、晏嬰が言った。

「斉はもうおしまいです。くさびの抜けた車で、千仞の谷の周りを走っているようなものです。仮に転覆は免れても、今の公室が続く見込みはありません。あなたは私の心からの友です。もし斉国でのんびり過ごされるおつもりなら、いくらかは助けて下さって当然でしょう。どうか包み隠さず、本心を仰って下さい。」

孔子「お言葉ですが、死病は治す法が無いと聞きます。政令は、君主が取った手綱のはみ﹅﹅くつわ﹅﹅﹅で、それで臣下を操るためのものです。今の斉公(景公)殿下が、その手綱を手放して随分たちました。晏嬰さまが一生懸命、国の舵取りをなさり国政を助けようとなさっても、うまくはいかないでしょう。しかしそれでも、殿下や閣下の生涯を、無事に終えることは出来るでしょう。ですがその後は、斉国は田氏のものとなりましょう。」

解説・付記

斉の景公と晏嬰は、姜氏斉国の掉尾を飾る君臣コンビ。景公は常人以上の知能を持ち、晏嬰は名宰相として名高い。互いに、斉国がやがて田氏に乗っ取られることは重々分かっており、その問答が『春秋左氏伝』にも記されている(→『春秋左氏伝』昭公二十六年・現代語訳)。

分かっていても、どうしようもなかったのだ。

本章はおそらく史実ではあるまい。孔子が若い頃一時的に斉に亡命したのは確かで、その時の宰相が晏嬰だったのも確かだが、当時の孔子は無名の小役人で、晏嬰が招くような人物ではない。

BC 魯昭公 孔子 孔子の記事 魯国の記事 その他
518 24 34 南宮敬叔と共に周の都・洛邑に留学、礼を老子に、楽を萇弘チョウコウに教わる 子死去、跡継ぎの孟子とその弟・南宮敬叔に、孔子に学ぶよう遺言。昭公、南宮敬叔の進言により、奨学金として馬車一台、馬二頭、お付き一人を与える
517 25 35 内乱を避けて斉の高昭子のもとへ避難 宮殿に九官鳥が巣をかける。闘鶏が原因で家老同士が私闘、乗じた昭公は季氏を討伐するが、返り討たれて斉に逃亡、さらに晋に行き乾侯に住まう。叔孫昭子死去。 斉、魯の昭公に領地を与えようとする
516 26 36 斉で音楽を聴き、「三ヶ月肉の味を知らず」。斉の景公に仕官が内定するが、家老・晏嬰アンエイが反対して取りやめ 斉、魯を攻撃して鄆を取る。周王朝再統一。彗星現る
515 27 37 斉の家老に殺されかけ、魯に帰る。途中、帰国中の呉の公子・季札が行った葬礼を参観。この頃までに主要な弟子を取る。弟子の樊遅ハンチ生まれる 季平子、范献子に賄賂し晋は受入拒否(晋世家) 衛と宋、晋に魯君の受入要求。呉王・闔閭コウリョ即位

その後魯と斉のいわゆる「夾谷会盟」(BC500)で、孔子と晏嬰がそれぞれ一国の大臣としてやりあった、とする伝説もあるが、晏嬰は直前に世を去っており、史実ではない。結局孔子は、生涯晏嬰に会うことがなかったと思われる。

警告

漢文業界の者は嘘つき中国人そっくりで、微塵も信用ならぬ(→理由)ので、数言申し上ぐ。


出典明記の引用は自由だが(ネット上では可動リンク必須)、盗用・剽窃は居合を嗜む有段者の訳者が、櫓櫂の及ぶ限り追い詰める。言い訳無用。訳者が「やった」と思ったら、全国どこでも押し込む。頭にきたら海外にも出かけ、バッサリやってすぐ帰る。訳者は暇であるし、惜しむものを持っていないし、面倒が苦にならぬゆえ、こうして古典を研究している。

刀の手入れは毎日している。そして未だ人を斬ったことが無い。

盗作・剽窃の通報歓迎。下手人を成敗した後、薄謝進呈。他人にやらせた者も同罪、まずそ奴から追い回してぶっ○○る。覚悟致せ。

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