原文
齊東郭亥欲攻田氏,執贄見夫子而訪焉。夫子曰:「子為義也,丘不足與計事。」揖子貢使答之。子貢謂之曰:「今子、士也,位卑而圖大。卑則人不附也,圖大則人憚之,殆非子之任也。盍姑已乎。夫以一縷之任繫千鈞之重,上懸之於無極之高,下垂之於不測之深。旁人皆哀其絕,而造之者不知其危,子之謂乎。馬方駭鼓而驚之,繫方絕重而填之。馬奔車覆,六轡不禁;繫絕於高,墜入於深,其危必矣。」東郭亥色戰而跪,曰:「吾已矣。願子無言。」既而夫子告子貢,曰:「東郭亥欲為義者也。子亦告之以難易則可矣。奚至懼之哉。」
書き下し
齊の東郭亥、田氏を攻めんと欲し、贄を執りて夫子に見え而訪い焉り。夫子曰く、「子は義しきを為す也、丘與に事を計るに足ら不」と。子貢を揖めて之に答え使む。子貢之に謂いて曰く、「今の子、士也、位は卑くし而圖ること大いなり。卑かれば則ち人附か不る也、圖りの大いなれば則ち人之を憚かる。殆ぼ子之任めに非ざる也。盍うに姑く已めん乎。夫れ一縷之任めを以て千鈞之重きを繫がば、上は之を極無き之高於懸け、下は之を測ら不る之深き於垂らん。旁の人皆な其の絕えんことを哀れみ、し而之を造る者其の危きを知ら不とは、子之謂い乎。馬の方に駭くは、鼓ち而之を驚かせばなり、繫り方に絕ゆるは、重くし而之を填たせばなり。馬奔りて車覆えるは、六たび轡すれども禁ぜ不。繫り高き於絕ゆれば、墜ちて深き於入る。其の危うきや必せ矣」と。東郭亥色なして戰き而跪き、曰く、「吾れ已み矣ん。願はくば子、言う無かれ」と。既にし而夫子子貢に告げて曰く、「東郭亥は義を為さんと欲する者也。子亦た之に告ぐるに、難易を以いるは則ち可き矣。奚ぞ之を懼るるに至らん哉。」
訳注
東郭亥:『孔叢子校釋』に引く。「宋咸注:亥、齋(齊)大夫東郭賈之族。賈亦曰子方、闞止之黨也。冢田乕曰:田氏盖(葢)陳恆、與闞止爭寵、因弑其君簡公。亊在魯哀十四年、時闞止之臣有東郭賈字子方者、奔衞。亥其屬與。」
現代語訳
斉の貴族、東郭亥が、斉国乗っ取りを謀る権力者、田氏を攻めようとした。決行を前に、東郭は手土産を持って孔子を訪れた。ところが先生は、「あなたは正義を行うのです。私如きが申し上げることなどありません」と言って、子貢を呼んで代わりに応接させた。
子貢「あなたの身分は士族に過ぎません。身分が低い割には計画が大きい。大貴族でもなければ人は付いてこず、計画が大きすぎては誰もが尻込みします。残念ですが、あなたに出来る企てとは言いかねます。そこでですが、しばらく様子を見てはいかがでしょうか。
糸ひと筋に、千鈞の重りをぶら下げれば、切れないまでも伸びに伸びて上は天まで届き、下は地の果てまでに至るでしょう。周りの人は”こわいこわい”と言うだけ、ところが重りを懸けた者は”大丈夫大丈夫”とたかをくくるとは、まさにあなたのことです。
のんびり草を食っていた馬がピシリと緊張するのは、”進め!”と鐘を叩くからです。糸がとうとう切れるのは、過剰な重りをぶら下げるからです。鐘に驚いて暴れ馬と化したら、六たび手綱を引こうとも、止められはしません。糸が高い所で切れたら、地の果てまで墜ちていくしかありません。どう考えても危ない話です。」
聞いていた東郭亥は、次第に顔が真っ青になっていったが、とうとう震えて子貢に跪いて言った。「仰る通り、私は止めることにします。どうかこのことは、黙っていて下さい。」
帰って行く東郭を見送りながら、先生は子貢に言った。「東郭亥は正義に逸っていた。そこへお前は、事の難易を説いた。見事な説得であったよ。当分、動乱が起きる心配は無いな。」
解説・付記
この後、田氏がついに斉国を乗っ取った事件は、孔子存命中の出来事として、論語憲問篇22にも記されている。
斉国の陳成子が主君の簡公を殺した。孔子は身を清めてから朝廷に上がった。
孔子「陳恒(=陳成子)めは大逆人です。どうか討伐して下さい。」
哀公「久しぶりに出てきたと思えば何を言う。ワシには兵などおらんと知っておろうが。門閥三家老家に言え。」
孔子「これでも家老の末席ですから、申し上げずにはいられないのですが…殿がそうおっしゃるとは。」三家老家の所へ行った。
季孫「無駄ですな。」
叔孫「は? 何じゃ? ワシはもう耳が遠くてのう。」
孟孫「ゴホゲホ。ゴホッ、ゲホッ。」
息子の孟武伯「父上! 父上!」
とぼとぼと屋敷に帰る。
「これでも家老の末席じゃから、言わずにはおれんのだが…。」
本章の史実性については、あり得る挿話の一つとしか評しようがない。也の字の用法など、論語の時代としてはおかしな言葉があるが、長い間に入れ替わった可能性もある。論語と違い「お話」として扱われてきた孔叢子は、史実性の検討をやや緩めにする必要があるだろう。